利根川が坂東太郎と呼ばれる理由とは?日本一の暴れ川の歴史と治水の真相
利根川が坂東太郎と呼ばれる理由とは?日本一の暴れ川の歴史と治水の真相について見逃せない 理由を分かりやすい構成で解説いたします。
東遷事業以降も、利根川は幾度となく人間の目論見を粉砕してきました。その破壊力を現代の記録として最も鮮烈に刻み込んでいるのが、昭和22年(1947年)9月のカスリーン台風です。
終戦直後の混乱期を襲ったこの台風により、現在の埼玉県加須市(旧童子府村周辺)で利根川の堤防が約340メートルにわたって決壊しました。濁流は利根川沿いにとどまらず、南下して埼玉の各都市を呑み込み、利根川から約50kmも離れた東京都足立区、葛飾区、江戸川区まで水没させました。死者・行方不明者は全国で1,900名を超え、首都機能は完全に麻痺しました。
現地を取材すると、埼玉県加須市向古河の堤防上には今も「カスリーン台風決壊口の碑」が厳然と佇んでいます。地元古老は当時の凄惨さを次のように回顧しています。
「夜中に遠くから地鳴りのような轟音が響いてきた。見張りに出ていた消防団が『土手が切れたぞ!逃げろ!』と叫びながら走ってきたときには、すでに足元まで泥水が押し寄せていた。堤防が切れる瞬間の音は、まるで山が崩れるようなものだった」(加須市内の語り部・80代男性の手記より)
令和元年(2019年)の東日本台風(台風19号)でも、利根川水系の八ッ場ダムや渡良瀬遊水地がフル稼働して間一髪で大氾濫を防いだことは記憶に新しい事実です。治水インフラが極限まで整った2026年の現在においても、関係機関のシミュレーションでは「利根川本川がひとたび決壊すれば、東京の東部低地帯(江東5区)を中心に数十万人が孤立し、浸水深は最大で10メートルに達する」と警告されています。坂東太郎の猛威は、決して歴史の教科書の中だけの話ではありません。