ヤクザ全盛期はいつ?構成員18万人から激減した真相と2026年の実態
ヤクザ全盛期はいつ?構成員18万人から激減した真相と2026年の実態の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。
人員の膨張とともに、地方の一組織から日本最大のメガシンジケートへと急成長を遂げたのが「山口組」です。その中興の祖として知られるのが、1946年に三代目組長に襲名した田岡一雄でした。
田岡組長が率いた時代の山口組は、単なる暴力に頼る無法集団とは一線を画していました。田岡が組員たちに繰り返し説いたのは「正業を持て」という思想です。神戸港の港湾荷役事業を一手に引き受ける「甲陽運輸」を設立して莫大な合法利益を吸い上げるとともに、美空ひばりらトップスターの興行権を握る「神戸芸能社」を傘下に収め、エンターテインメント業界と港湾物流の両面から圧倒的な資金力を確立しました。
経済的基盤を盤石にした山口組は、昭和30年代から40年代にかけて全国進出を開始します。いわゆる「明友会事件」をはじめとする苛烈な昭和の暴力団抗争事件を経て、地方の独立組織を次々と傘下に収めていきました。この急拡大に危機感を抱いた警察庁は、1964年から全国一斉の「第1次暴力団頂上作戦」を決行。幹部の一斉検挙と組織の解体を進めましたが、強固な擬制家族の絆と統制力を誇る山口組の根幹を揺るがすまでには至りませんでした。