画狂老人卍とは何者か?葛飾北斎が晩年に名乗った衝撃の理由と代表作
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北斎は単なる職人気質の絵師にとどまらず、文芸にも通じた知性派でした。寛政年間には狂歌集の挿絵を多数手がけ、自身も「亀戸横街の長庵」などの狂歌雅号を使いこなして粋人たちと交友を結んでいました。言葉遊びや諧謔(ユーモア)のセンスは、後の奔放な発想力の源泉となっています。
その生涯は波乱万丈そのものでした。93回に及ぶとされる引っ越し、身なりに一切構わず絵の具まみれの部屋で過ごした奇行、孫の借金を背負って困窮した晩年の経済的苦境など、人間味あふれる逸話には事欠きません。
しかし、どんな逆境にあっても絵筆を置くことはありませんでした。死の床において北斎は「天があと10年の命を…いや、あと5年の命をくれれば、私は本物の絵師になれたものを」と言い残して息を引き取ったと伝えられています。「画狂老人卍」という号は、90年の生涯を最初から最後まで絵画への情熱だけで駆け抜けた男の、最も純粋な魂の名前でした。