ニュートンのりんごの木は日本にある?逸話の嘘と国内植樹先を追跡
ニュートンのりんごの木は日本にある?逸話の嘘と国内植樹先を追跡についての疑問解決ガイドをお届けします。
この木がどのような航跡をたどって日本に根付いたのか、その背景には日本の農業と科学外交を巡る緊迫した歴史がありました。そもそも日本へ寄贈された理由は、1964年2月、英国物理学研究所所長であったゴードン・サザーランド卿が来日した際、日英の学術交流の親善の証として当時の日本学士院院長・柴田雄治博士へ接ぎ木苗を贈呈したことに端を発します。
ところが、羽田空港に到着した苗木を植物検疫所が検査したところ、当時の日本国内の果樹園には存在しなかった「高接病(たかつぎびょう)」を引き起こすリンゴクロロティックリーフスポットウイルス(ACLSV)などの植物ウイルスに感染していることが判明しました。もしこの苗木を無防備に国内へ持ち込み、病原菌が青森県や長野県などの主産地へ飛散すれば、日本のりんご産業全体が壊滅的な打撃を受けかねない緊急事態でした。
植物防疫法に照らし合わせれば、即座に焼却処分(破棄)される運命にありました。しかし、「世界の至宝である科学遺産を灰にするわけにはいかない」と立ち上がったのが、農林水産省果樹試験場(現・農研機構果樹茶業研究部門)を中心とする日本の研究チームでした。
ここから、ウイルスフリー化の経緯と呼ばれる前代未聞のバイオ技術プロジェクトが始動します。研究者たちは苗木を外部から遮断された隔離温室で保護しつつ、植物の細胞分裂が極めて活発でウイルスが増殖できない茎の先端(生長点)わずか0.2〜0.5ミリを顕微鏡下で無菌採取し、試験管内で組織培養する「茎頂培養技術」を試みました。
失敗と試行錯誤を繰り返すこと十数年、1980年についに完全な無病化(ウイルスフリー化)に成功。翌1981年、厳しい検疫基準をクリアした清浄な苗木が、正式に東京大学大学院理学系研究科附属植物園へと引き渡され、一般公開にこぎ着けました。寄贈から実に17年の歳月を要したこの救出劇は、日本の植物バイオテクノロジーの黎明期を飾る隠れた金字塔として今も語り継がれています。