薬子の変はなぜ起きた?平城上皇と嵯峨天皇の激突と真相を徹底解説
薬子の変はなぜ起きた?平城上皇と嵯峨天皇の激突と真相を徹底解説の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点で紐解きます。
では、そもそも薬子の変はなぜ起きてしまったのでしょうか。その原因は「政治路線の食い違い」と「側近勢力の権力欲」が複雑に絡み合った点にあります。
平城天皇は即位中、父である桓武天皇の積極的な拡大路線を見直し、行政組織の簡素化や財政緊縮など独自の改革を進めていました。しかし、即位からわずか3年で重病を患い、自ら皇位を弟の嵯峨天皇に譲ることになります。
ところが、退位後に平城京へ移住した上皇の体調が劇的に回復したことで、政治への意欲が再燃します。これに拍車をかけたのが、上皇の寵愛を一身に受けていた尚侍(ないしのかみ:内裏の最高権力職)の藤原薬子と、その兄の藤原仲成でした。藤原式家の出身である二人は、自派閥の復権と権力拡大を狙い、上皇を強力に焚き付けます。
その結果、平城上皇は突如として「平安京を廃止し、平城京へ再び遷都する」という強硬な命令を発布。国家の首都を独断で戻そうとしたこの命令こそが、嵯峨天皇との決定的な決裂の引き金となりました。