ダイエー王監督の苦闘と真相|生卵事件から常勝軍団を築いた奇跡

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苦節の5年間を経て、1999年9月25日、その瞬間は訪れました。福岡ドームで行われた日本ハムファイターズ戦。9回表、最後の打球が中堅手・柴原洋のグラブに収まった瞬間、球場全体を揺るがす地鳴りのような歓声が上がりました。南海時代以来、実に26年ぶりとなるリーグ制覇。福岡移転後初の歓喜でした。

生卵を投げつけられたあの日からわずか3年。大ブーイングを浴びていた王監督の体が、満員の福岡ドームの夜空へ高く舞い上がりました。西武ライオンズから移籍し投手陣の精神的支柱となったエース・工藤公康投手や、グラウンド内外でチームを鼓舞し続けた秋山幸二選手の献身的な働きも、若手主体のチームに勝負の厳しさを植え付ける決定打となりました。その勢いのまま日本シリーズでも中日ドラゴンズを4勝1敗で撃破し、ダイエーは球団史上初の日本一の頂へと上り詰めたのです。

翌2000年にはパ・リーグ連覇を達成し、読売ジャイアンツとの日本シリーズで、長嶋茂雄監督との世紀の「ON対決」が実現しました。日本中が熱狂したこの戦いは、王監督がかつて過ごした巨人軍という巨大な壁に対し、自らゼロから創り上げたホークスを率いて堂々と渡り合う姿を全国に印象付けました。

そして2003年、王ホークスは打撃組織の究極形とも言える「ダイハード打線」を完成させます。城島健司(打率.330、34本塁打、119打点)、松中信彦(打率.324、30本塁打、120打点)、井口資仁(打率.340、27本塁打、109打点)、そしてペドロ・バルデス(打率.311、26本塁打、104打点)という、日本プロ野球史上初となる「同一チーム4選手100打点カルテット」が誕生。チーム打率.297という破壊的な攻撃力で阪神タイガースを下し、再び日本一の栄冠を掴み取りました。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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