ノルマントン号事件の闇|なぜ日本人は見殺しに?判決と条約改正の真実
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事故後、さらなる屈辱が日本を襲いました。事件の舞台が日本領海内であったにもかかわらず、日本側には捜査権も逮捕権も裁判権もありませんでした。江戸幕府末期に結ばれた日米修好通商条約をはじめとする一連の安政の不平等条約に含まれていた「領事裁判権(治外法権)」により、在日外国人が犯した罪は、その国の領事が自国の法律に基づいて裁くことになっていたためです。
1886年11月1日、神戸の英国領事館で開かれた海難審問において、英領事ジェームズ・トループは驚くべき宣告を下しました。「ノルマントン号の沈没は不可抗力の天災であり、船長以下船員たちの行動に過失は一切認められない」として、全員無罪としたのです。自国民25名が見殺しにされ、遺族が泣き寝入りを強いられるなか、加害者である英国人船長は何食わぬ顔で放免される――このあまりに偏向した司法判断は、主権国家としての日本の尊厳を根底から踏みにじるものでした。
この結果に激怒した日本世論を受け、明治政府も座視できなくなります。兵庫県知事の内海忠勝らが殺人罪・過失致死罪で告訴に踏み切り、同年12月、横浜の英国高等裁判所領事法廷で正式な刑事裁判が開廷しました。しかし、法廷を取り仕切るのはあくまで英国人判事ハネスと英国人陪審員でした。検察官による厳しい追及の末、下された最終判決は「業務上過失致死罪で禁錮3か月」。25名の人命を奪った責任に対する代償が、わずか90日余りの禁錮刑にとどまり、遺族への賠償金は一銭も科されませんでした。これが、領事裁判権という治外法権の厚い壁に阻まれた「裁判の結末」でした。