中国史上最恐の極刑「凌遅刑」の真相|千刀万剐の歴史と廃止理由
中国史上最恐の極刑「凌遅刑」の真相|千刀万剐の歴史と廃止理由に関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
凌遅刑が20世紀初頭まで存続していた事実は、当時の最新技術であった「写真」によって世界中に動かぬ証拠として記録されました。
1900年の義和団の乱以降、北京に駐留していたフランス軍の兵士や外国人写真家によって、王維勤(1904年執行)や符珠哩(1905年執行)といった罪人の処刑現場が撮影されたのです。これらの写真は絵葉書などとして欧米へ持ち帰られ、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユが自著『エロスの涙』で引用・分析したことでも広く知られるようになりました。
なぜ1905年に突如廃止されたのか?2つの決定打
数百年にわたり続いたこの残虐刑が廃止された背景には、明確な内外の政治的要因がありました。
- 西欧列強に対する「野蛮国」イメージの払拭:当時、清朝は欧米列強と結ばされた不平等条約の改正(治外法権の撤廃)を強く求めていました。しかし列強諸国は「凌遅刑のような前近代的な野蛮刑罰を持つ国に自国民の裁判権を渡せない」と拒絶。法制度の近代化が急務でした。
- 沈家本(しんかほん)による法制改革の奏上:法学者であり刑部侍郎を務めた沈家本らは、光緒31年(1905年)に上奏文を提出。「凌遅、梟首(首晒し)、戮屍(死体への処刑)」といった残虐な肉刑の一括廃止を訴え、西太后および光緒帝の承認を取り付けることに成功しました。
こうして1905年4月、中国の歴史から凌遅刑は公式に姿を消すこととなりました。