李承晩は何をした人物か?ライン制定の真相とハワイ亡命の闇に迫る

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李承晩政権が振るった暴力の切っ先は、対外的な日本だけでなく、皮肉にも自国の国民へ容赦なく向けられました。彼の統治期間を決定づけたのは、冷戦構造の最前線で醸成された病的なまでの反共主義です。「共産主義者は容赦なく抹殺すべし」という狂信的なイデオロギーは、朝鮮戦争の前後に数十万人規模の無実の民間人を虐殺する国家犯罪を生み出しました。

その筆頭が、1948年に済州島で発生した「済州島四・三事件」です。単独政府樹立に反対する左派勢力の武装蜂起を名目に、李承晩政権の軍・警察、さらには極右青年団「西北青年団」が島へ投入されました。彼らは焦土化作戦を展開し、ゲリラと一般住民の区別なく島民を虐殺。全村落の7割以上が焼き払われ、当時の島民人口の1割を超える約3万人が犠牲になったと推計されています。この凄惨な弾圧から逃れるため、多くの島民が命がけで海を渡り、大阪や東京などの日本各地へ密航して定住する契機となりました。

さらに残虐を極めたのが、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した直後に起きた「保導連盟事件」の真相です。

「国民保導連盟」とは、もともと共産主義思想に染まった経歴を持つ人々を「転向」させ、保護・指導するという名目で1949年に政府主導で作られた組織でした。しかし、その実態は定員ノルマを達成するために、米や肥料の配給をエサに思想とは無関係な一般の農民や未成年者を大量に登録させたものでした。

北朝鮮軍が奇襲南進を開始し、ソウルが陥落の危機に瀕すると、李承晩政権は戦慄すべき決断を下します。「連盟員が北の軍隊に同調して後方攪乱を起こす恐れがある」という被害妄想から、内務省治安局を通じて全国の警察や憲兵隊に秘密裏の処刑命令を下したのです。拘束された人々は、トラックに詰め込まれて山間部や廃鉱、海岸へと運ばれ、手錠をかけられたまま背後から小銃や機関銃で掃射されました。

2000年代以降、韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」による公式調査が進み、全土に点在する集団埋葬地から夥しい数の白骨遺骨や靴、日用品が発掘されました。確認された犠牲者数だけでも数万人に達し、学術研究や民間団体の試算では10万人から30万人以上の無辜の国民が裁判なしで即決虐殺されたと報告されています。

さらに李承晩の人間性を象徴するのが、1950年6月28日未明の「漢江人道橋爆破事件」です。北朝鮮軍の進撃に恐れをなした李承晩は、ラジオ放送で「国連軍が助けに来る、市民は持ち場を守れ」と嘘の演説を流しながら、自身はいち早く専用列車で大田へと脱出しました。そして避難を急ぐソウル市民数千人が橋の上にひしめいている最中、自軍に漢江にかかる橋を爆破させたのです。爆破によって市民数百人が即死し、数十万人のソウル市民が逃げ場を失って共産軍の支配下に置き去りにされました。自らの保身のために平然と国民を見捨てるその冷徹さは、民衆の心に消えない不信の種を植え付けました。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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