日本アニメの草分け山本早苗の生涯|東映動画誕生と歴史的功績の全貌

日本アニメの草分け山本早苗の生涯|東映動画誕生と歴史的功績の全貌の要点を分かりやすくまとめてご紹介します。

太平洋戦争終結直後の1945年10月、山本早苗は大きな決断を下します。セル画アニメーションの先駆者である政岡憲三や村田安司らと共に、焼け野原となった東京で「新日本動画社」を結成しました。その後、1948年に「日本動画株式会社(通称:日動)」へと改組されます。

しかし、戦後の資材不足と興行の不安定さから、スタジオの経営は常に資金難との戦いでした。そこで山本は、個人経営の限界を悟り、大手映画会社との提携によるスタジオの産業化を模索します。これに目を留めたのが、東映の初代社長であった大川博でした。大川は「東洋のディズニーを目指す」という壮大な構想を掲げており、山本率いる日本動画の技術力と人材に白羽の矢を立てました。

1956年、東映が日本動画を買収する形で「東映動画株式会社」が正式に発足します。山本早苗は初代の取締役スタジオ長(制作現場責任者)に就任しました。練馬区大泉に建設された最新鋭のスタジオで、山本は制作ラインのシステマチックな分業体制を敷き、日本初の長編フルカラーアニメーション映画『白蛇伝』(1958年)の制作を現場トップとして指揮しました。この大泉スタジオから、後に日本アニメ界を牽引する大塚康生、高畑勲、宮崎駿、森康二といった稀代の才能が巣立っていったのです。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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