「月日は百代の過客にして」の意味と現代語訳|芭蕉が旅に出た真意
「月日は百代の過客にして」の意味と現代語訳|芭蕉が旅に出た真意を徹底追究! 知っておきたい 重要ポイントを分かりやすく展開します。
元禄2年(1689年)春、松尾芭蕉は46歳という当時としては決して若くない年齢で、江戸深川の庵を払い、東北・北陸を巡る約2,400キロ・全150日間に及ぶ過酷な旅へ出立しました。快適な江戸での暮らしを捨て、なぜ命の危険を冒してまで旅立たねばならなかったのでしょうか。
冒頭文に続く段落で、芭蕉はその胸中を赤裸々に告白しています。
「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやままず……」
ちぎれ雲が風に吹き流されていく様子を見るにつけ、どこかへ旅立ちたいという衝動(漂泊の思い)が抑えられなくなったと語ります。旅に出た主な動機は次の3点に集約されます。
・能因法師や西行法師など先達の「歌枕」を訪ねる求道:古の歌人たちが歌に詠んだ名所旧跡(歌枕)を自らの足で訪れ、彼らの精神に触れること。
・「不易流行」の俳諧観を確立する芸術的深化:安住の地にいては得られない、自然と自己が一体となる新たな表現の境地を切り拓くこと。
・死生観に基づく覚悟:「古人も多く旅に死せるあり」と記した通り、芭蕉自身も道半ばで行き倒れることを覚悟した上での、自らの人生の集大成としての旅でした。