画狂老人卍とは何者か?葛飾北斎が晩年に名乗った衝撃の理由と代表作

画狂老人卍とは何者か?葛飾北斎が晩年に名乗った衝撃の理由と代表作とは一体何なのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。

「画狂老人卍」を名乗って以降の北斎は、版画の制作から徐々に離れ、自らの手で直接筆を振るう「肉筆画(にくひつが)」に情熱を傾けていきました。版元の意向や彫師・摺師の技術に左右されず、純度100%の筆致をダイレクトに叩きつける手法を選んだのです。

この時期の代表作には、毎朝魔除けのために獅子の絵を描き続けた『日新除魔図』をはじめ、躍動する猛獣を描いた『雪中虎図』、そして絶筆とされる『富士越龍図(ふじこしりゅうず)』があります。

『富士越龍図』は、北斎が亡くなる嘉永2年(1849年)、数え年90歳の時に描かれた最高傑作です。静寂に包まれた雪の富士山の上空を、黒雲とともに一条の龍が天空へと昇っていく構図は、圧倒的な迫力を放ちます。画面左上には「画狂老人卍筆 齢九十」の署名と、富士山の形を模した「百」の落款が記されていました。

百歳まで生き、絵の神髄を極めんとした北斎の魂が、龍の姿を借りて天へと昇華していくかのようなこの作品は、晩年に到達した画力の凄みを雄弁に物語っています。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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