承久の乱を簡単にわかりやすく解説!朝廷が幕府に大敗した真相とは
承久の乱を簡単にわかりやすく解説!朝廷が幕府に大敗した真相とはの基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。
承久の乱を最もシンプルに説明するなら、「朝廷の権力を取り戻そうとした後鳥羽上皇と、武士の生活と領地を守ろうとした鎌倉幕府(北条氏)による日本史上初の全面戦争」です。
起こった年は1221年(承久3年)。歴史のテスト対策として定番の「承久の乱年号の覚え方」には、次のような語呂合わせが広く親しまれています。
- 「人に不意(1221)打ち、承久の乱」(上皇からの予期せぬ討伐令に幕府が驚いた情景)
- 「人にぶ意気(1221)な後鳥羽上皇」(自信満々で挙兵した上皇の姿)
この戦いを理解する上で欠かせないのが、以下の対立構図と主要な登場人物の関係性です。
- 【朝廷側(官軍)】後鳥羽上皇(ごとばじょうこう):文武両道で絶大なカリスマ性を誇る第82代天皇。朝廷の復権を目指し、軍事部門として「西面の武士(さいめんのぶし)」を組織。全国の武士へ義時追討の院宣を下す。
- 【朝廷側主力】藤原秀康(ふじわらのひでやす)・三浦胤義(みうらのたねよし):院近臣の武将。三浦胤義は幕府の有力御家人・三浦義村の弟であり、「兄も必ず朝廷側に寝返る」と上皇に吹き込んだキーマン。
- 【幕府側リーダー】北条義時(ほうじょうよしとき):鎌倉幕府の第2代執権。源頼朝の死後、実力で幕府の実権を握り、武士の権益を守るため朝廷と対峙。追討の標的とされる。
- 【幕府の精神的支柱】北条政子(ほうじょうまさこ):源頼朝の妻(尼将軍)で義時の姉。動揺する御家人たちを歴史に残る演説で束ね上げ、幕府の空中分解を防いだ立役者。
- 【幕府軍総大将】北条泰時(ほうじょうやすとき):義時の長男。後に第3代執権となり『御成敗式目』を制定する名君。わずか18騎で鎌倉を出撃し、大軍を率いて京へと進軍。