【京都の真実】洛中と洛外の境界線とは?国宝屏風が明かす千年の謎
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話は794年の平安京遷都にまで遡る。中国の唐の都であった長安と洛陽にちなみ、平安京の西側(右京)を長安城、東側(左京)を洛陽城と呼んだことがすべての始まりだ。やがて右京が湿地帯のために衰退すると、左京である「洛陽」エリアが都市の中心として生き残った。
ここから、都の内部を「洛中」、その周辺を「洛外」と呼ぶ習わしが定着する。都を指す言葉として「洛」の一文字が定着したことで、上京や入洛といった言葉も生まれた。都市の拡大とともにその概念は形を変えつつも、日本の中心地としての誇りを象徴するキーワードであり続けた。