東海村臨界事故の作業員に何が起きたのか?医療記録と83日間の真相
東海村臨界事故の作業員に何が起きたのか?医療記録と83日間の真相とはどのようなものなのか? 背景や要点を整理してお届けします。
大内さんの治療を担当した東京大学医学部附属病院の医療チームは、当時世界で前例のない超高線量被曝に対する集学的治療を展開しました。白血球を増やすための末梢血幹細胞移植(妹からの提供)や、徹底した無菌管理、最新の皮膚培養技術など、国内最高峰の知見と医療資源が投入されました。
しかし、染色体の設計図を失った肉体は、既存の細胞が寿命を迎えて死滅するにつれて急激に崩壊を始めました。被曝から約1週間後、医療用テープを剥がしただけで皮膚が剥離するようになり、全身から大量の体液(浸出液)が漏出。腸の粘膜も脱落して激しい下痢と消化管出血が続き、1日に数リットルもの輸血と水分補給を絶え間なく行わなければ生命を維持できない過酷な状態へと追い込まれていきました。
当時の医療チームの手記やNHKのドキュメンタリー『被曝治療83日間の記録』では、懸命に救命を試みる医師・看護師たちの苦悩が詳細に描かれています。「生かしていることが本人の苦痛を長引かせているのではないか」という倫理的ジレンマに直面しながらも、家族の強い願いと医療者としての使命感の間で全力を尽くした83日間でした。1999年12月21日、大内さんは多臓器不全により息を引き取りました。