【衝撃】元中日ドラ1野中徹博の現在とは?戦力外から奇跡の復活を遂げた真相
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一度ユニフォームを脱いだ野中徹博が選んだ再出発の場は、物流大手・佐川急便の社員でした。プロ野球のドラフト1位という肩書を完全に捨て去り、朝早くから夜遅くまで荷物を担いでトラックの荷台と集配先を往復する過酷なセールスドライバーの日々。この時期について本人は、後のドキュメンタリー番組の取材で「プライドなど完全に消え去り、ただ目の前の仕事を必死にこなすだけで精一杯だった」と赤裸々に吐露しています。
ところが、この過酷な労働環境が運命の歯車を思いがけない方向へ回します。会社の軟式野球部に誘われて気晴らし程度にボールを投げ始めたところ、長年苦しめられていた右肩の痛みが不思議なほど完全に消え去っていたのです。トラックの荷役作業で全身の筋肉が鍛え直され、かつ「投げなければならない」というプロ特有の強迫観念から解放されたことで、患部の炎症が自然治癒したと考えられています。軟式ボールでありながら投げ込まれる球は凄まじく、140キロ後半の剛速球を連発する姿は社内でも大きな話題となりました。
「もう一度、プロの硬式球を投げたい」という消えかけていた炎が再燃した野中徹博は、1993年、発足して間もない台湾プロ野球(CPBL)に新規参入した俊国ベアーズの入団テストを受験します。ブランクを物ともしない圧巻のピッチングで即座に契約を勝ち取ると、ここから日本プロ野球史に刻まれる奇跡の復活の幕が上がりました。
異国の過酷な環境や移動、言葉の壁を乗り越え、開幕からエースとしてフル回転した彼は、15勝4敗1セーブ、防御率3.17という傑出した成績をマーク。台湾球界を代表する奪三振マシンとしてオールスターゲームにも選出される大快挙を成し遂げました。この圧倒的なパフォーマンスが日本球界のスカウトの目を引きつけ、1994年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズへの入団が決定。実に5年ぶりとなる劇的な日本球界復帰を果たしたのです。