通州事件の真相とは?誤爆が招いた惨劇と教科書に書かれぬ全貌
通州事件の真相とは?誤爆が招いた惨劇と教科書に書かれぬ全貌とは一体何なのか? 専門的な分析を整理してお届けします。
最大の謎として語り継がれるのが、「なぜ親日政権の軍隊が、突如として主権者たる日本側を急襲したのか」という疑問です。そこには、軍事的な痛恨の失策と、戦時特有の情報操作、そして兵士たちを飲み込んだ強烈な保身心理の連鎖が存在しました。
直接の引き金となったのは、事件発生2日前の1937年7月27日に起きた日本軍機による誤爆事故です。
南苑方面の第29軍を攻撃中だった日本陸軍臨時航空兵団の軽爆撃機が、通州城外にあった通州保安隊の兵営(教導総隊教導団)を敵軍と誤認し、爆撃を敢行。兵舎に直撃弾が命中し、十数名の保安隊員が死亡、多数が負傷する惨事となりました。日本軍通州特務機関長の細木繁中佐は直ちに謝罪し、弔慰金の支払いを約束して事態の沈静化を図りましたが、保安隊内部の動揺と不信感はすでに制御不能なレベルに達していたのです。
さらに事態を悪化させたのが、中国国民党軍(第29軍)による周到なプロパガンダでした。「北平(北京)で日本軍は壊滅した」「第29軍が通州に進軍中であり、日本軍に味方する者は皆殺しにする」という偽情報が保安隊内に猛烈なスピードで流布。指揮官である張慶余(第1総隊長)や張硯田(第2総隊長)らは、自らの生き残りをかけ、日本軍を見限って中国正規軍へ寝返る決断を下しました。
「このままでは日本軍に裏切り者として粛清されるか、攻め寄せる第29軍に処刑される」。袋小路に追い詰められた保安隊の兵士たちの間で被害妄想と民族的排外感情が爆発し、7月29日午前3時、約4,000名の兵力が一斉に牙を剥いたのです。