志村けんの若い頃が菅田将暉似で超絶イケメン?下積み秘話と加入の真相
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東京都立久留米高校の卒業を目前に控えた1968年2月、志村さんは人生最大の賭けに出ます。当時、TBS系の番組などで頭角を現し、若者を中心に爆発的な人気を獲得しつつあったコミックバンド「ザ・ドリフターズ」のリーダー、いかりや長介さんの自宅前へ直訴に向かったのです。
雪が激しく降りしきる極寒の日、アポイントもなしに玄関先で立ち尽くす17歳の少年。何時間も待ち続け、深夜に戻ってきたカミナリ親父・いかりや長介さんに対し、志村さんは凍える体で「弟子にしてください」と頭を下げました。いかりやさんはその場で即答せず、少年の覚悟を試すように言葉を濁したものの、翌日も翌々日も諦めずに通い詰める志村さんの並々ならぬ熱意に折れ、ついに付き人としての採用を認めました。
しかし、そこから始まったのは想像を絶する過酷な下積み生活でした。当時の芸能界における付き人は、文字通りの徒弟制度です。主な任務と過酷な日常は以下の通りでした。
- 24時間体制の雑用:リーダーいかりや長介の身の回りの世話、衣装の運搬、舞台小道具の製作や買い出し、運転手業務。
- 極貧の生活水準:支給されるわずかな手当は食費と銭湯代で消え、アパートの家賃すら払えない日々。先輩付き人たちの部屋を転々とし、空腹を水道水で紛らわせることも日常茶飯事。
- 厳しい叱責の嵐:舞台のタイミングひとつ、道具の置き場所ひとつ違えば、いかりやからの怒号が飛ぶ極度の緊張感。
精神的にも肉体的にも限界を迎えた志村さんは、付き人になって約1年余りが過ぎた頃、耐えかねて一度現場から「脱走」を企てます。知人のアパートに身を隠し、バーテンダーなどのアルバイトで食いつなぐ日々。しかし、どれほど逃げようとしても、頭から離れなかったのは「喜劇の舞台に立ちたい」という執念でした。脱走から数か月後、覚悟を決めて戻ってきた志村さんを取り成したのが、同じドリフのメンバーであり、兄貴分として目をかけていた加藤茶さんでした。加藤さんの「もう一度チャンスをやってくれ」という口添えにより、志村さんはいかりやさんから再び許され、付き人生活へと復帰を果たしたのです。