香川照之と市川猿之助は腹違い?家系図が暴く血脈の真相と澤瀉屋の現在
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香川照之の半生を語る上で避けて通れないのが、実父・市川猿翁との壮絶な確執です。
東京大学文学部社会心理学科を卒業後、20代前半で俳優の道を歩み始めた香川は、1989年、23歳のときに父の公演先である京都・南座の楽屋をアポなしで訪ねました。幼少期に生き別れた父との絆を取り戻したい一心での行動でした。しかし、そこで父から浴びせられた言葉は冷酷を極めるものでした。
当時の手記や回顧録によると、猿翁は香川に対し、「大事な公演中に突然訪ねてくるとは何事か」「私は家庭を捨てた時点で命を捨てている。今の私にとってあなたは息子ではない」「今後一切、二度と会うことはない」と冷徹に言い放ち、門前払いを食らわせたのです。
この絶縁宣言は香川の心に深い傷を残しましたが、同時に表現者としての反骨心の原動力にもなりました。映像の世界でバイプレイヤーとしての地位を不動のものにした香川が、再び父と向き合う契機となったのは、2004年の長男・政明(現・市川團子)の誕生でした。「自分の中に流れる澤瀉屋の血を、息子へと繋ぎたい」。その執念が、氷解の扉を開きます。
関係を取り持ったのは、かつて父が母を捨ててまで一緒になった藤間紫でした。彼女の仲介により、2011年、香川照之は45歳にして歌舞伎界入りを果たし「九代目市川中車」を襲名。長男も同時に「五代目市川團子」として初舞台を踏むことになります。かつて絶縁を突きつけた父・猿翁とも同居を始め、親子三代での共演を実現させたこの出来事は、梨園の歴史において前代未聞の奇跡として報じられました。