中村勘三郎の死因と闘病の真相|食道がん手術とArds急逝の全記録

話題沸騰中の 中村勘三郎の死因と闘病の真相|食道がん手術とArds急逝の全記録について、主要な情報を分かりやすく掲載しています。

勘三郎の病床を最後まで守り続けたのが、妻・波野好江さんでした。七代目尾上梅幸の長女として梨園に生まれ育ち、誰よりも夫の舞台への情熱を理解していた好江さんは、ICUの面会制限がある中でも毎日欠かさず病室へ通い詰め、意識の混濁する夫の手を握り続けました。

人工呼吸器や管が気道に入っているため、勘三郎は言葉を発することができませんでした。それでもベッドの上で手を動かし、見舞いに訪れた長男の中村勘九郎、次男の中村七之助に対して筆談で舞台の出来を案じ、芝居の指示を書き殴っていたといいます。自身の命が危機に瀕している最中でも、頭の中にあったのは歌舞伎のことだけでした。

当時、勘九郎は「六代目中村勘九郎」を襲名したばかりの全国巡業中であり、七之助も舞台公演を抱えていました。二人は終演後に夜行列車や車で東京へ戻り、ICUで父の手を握っては、翌朝の舞台へ向かうという極限の日々を過ごしていました。後に勘九郎は「病室の父の顔を見るたび、舞台で下手な芝居は絶対にできないと背筋が伸びた」と語っています。

なぜ重篤な病状が直前まで公表されなかったのか。その死去発表の理由と経緯について、松竹および家族関係者は「最後の最後まで奇跡的な回復を信じていたこと」、そして「舞台に立ち続ける息子たちの芝居にお客様が集中できるよう、過剰な動揺を与えたくなかったこと」を挙げています。俳優としての尊厳を守り抜いた末の判断でした。

12月5日未明、家族全員に見守られながら静かに息を引き取った後、本願寺築地別院(築地本願寺)で行われた本葬・告別式には、歌舞伎関係者、芸能界の盟友、そして一般ファンを含め約1万2000人が参列。築地の通りを埋め尽くした人々の「中村屋!」という悲痛な大向こうが、冬の空に響き渡りました。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest