橋龍と呼ばれた橋本龍太郎の功罪|行革と普天間合意の真相に迫る

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1998年の退陣後も、橋本は自民党最大派閥である平成研究会(橋本派)の会長として党内に隠然たる影響力を保ち続けました。2001年の自民党総裁選では再登板を目指して出馬したものの、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉純一郎の巻き起こした旋風の前に大敗。自らが敷いた中央省庁再編と官邸機能強化のレールの上を、最大の政敵であった小泉が疾走するという歴史の皮肉を味わうことになります。

さらに2004年には、日本歯科医師連盟からの1億円闇献金疑惑の責任を取り、派閥会長を辞任。翌2005年の郵政解散総選挙には出馬せず、静かに政界を引退しました。

橋本龍太郎 死因と経緯について、晩年の闘病生活は壮絶を極めました。引退の翌年である2006年6月、急性腹症のため国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)に緊急入院。大腸の血流が途絶える腸管虚血の手術を受け、敗血症性ショックによる多臓器不全を併発しました。ICU(集中治療室)での懸命な治療も虚しく、2006年7月1日午後2時頃、68歳の若さでこの世を去りました。志半ばでの早すぎる死は、多くの国民と政界関係者に深い衝撃を与えました。

そして現在、橋本の血脈と政治的遺志は次の世代へと継承されています。橋本龍太郎 息子の現在に目を向けると、次男の橋本岳(がく)氏は、父の地盤である岡山4区などを拠点に衆議院議員として活動。厚生労働副大臣などを歴任し、父が得意とした社会保障・医療福祉分野のスペシャリストとして政策活動を展開しています。2020年の新型コロナウイルス流行初期には、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の現場対応に厚生労働副大臣として派遣されるなど、父譲りの危機管理の現場最前線に立つ姿が話題となりました。また、長男の橋本龍氏は父の首相秘書官を務めた後、異なるフィールドから社会を支えるなど、それぞれの立場で歩みを進めています。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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