ひよこは福岡と東京どっちが発祥?元祖論争の真相と味の違いを徹底解明
ひよこは福岡と東京どっちが発祥?元祖論争の真相と味の違いを徹底解明について知っておくべき ポイントを分かりやすく解説いたします。
九州ローカルの銘菓であったひよ子が、いかにして「東京名菓」の看板を背負うことになったのか。その転換点となったのが、戦後日本の奇跡的な復興を世界へ告げた1964年の東京オリンピックである。
当時、吉野堂の三代目社長を務めていた石坂博和氏は、地方の和菓子店としては異例とも言える電撃的な決断を下した。「九州のひよ子から、日本のひよ子へ」。モータリゼーションの到来と高速鉄道網の整備を見越し、オリンピック開催に合わせて東京への進出を断行したのだ。この経営判断の凄みは、進出の手法にあった。
多くの地方企業が銀座や日本橋といった伝統的な一等地に路面店を構えようとしたのに対し、ひよ子が狙いを定めたのは「日本の玄関口」である交通結節点だった。1964年、東海道新幹線が開業した東京駅の八重洲地下街へ出店。さらに、モノレールで都心と結ばれ、空の玄関口として急速に利用者を伸ばしていた羽田空港の売店へいち早く商品を送り込んだ。
地方から集団就職やビジネスで上京した人々、そして東京五輪や観光で首都を訪れた地方客は、東京駅や羽田空港で黄色い小箱を買い求めた。彼らの多くは「東京駅で買った最新のおしゃれなお土産」として地元へ持ち帰り、贈られた側もまた「東京名物」として認知していった。地方発のブランドが、流通の最上流を制圧することによって首都の象徴へと変貌を遂げた、昭和マーケティング史に残る鮮やかな「認知の上書き」がここに行われたのである。
その後、1966年には埼玉県草加市に東京工場を建設。現地での生産体制を整えると同時に、販売会社として「株式会社東京ひよ子」を設立した。これにより、「福岡で作ったものを東京へ運ぶ」のではなく、「東京の地で製造し、首都圏へ供給する」という盤石のサプライチェーンが完成したのである。