池部良の凄絶な美学|過酷な戦争と死因の真相、高倉健が慕った理由
池部良の凄絶な美学|過酷な戦争と死因の真相、高倉健が慕った理由に関する専門家の意見を分かりやすく解説いたします。
池部良の演技や佇まいに漂う、どこか世俗を超越したような「虚無感」や「冷めたユーモア」の背景には、筆舌に尽くしがたい戦争体験の経緯が存在します。
1941年、陸軍に召集された池部良は暗号将校として中国戦線へ送られた後、南方戦線のハルマヘラ島へと転属を命じられます。その輸送中、乗船していた輸送船がアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け、撃沈されてしまう事態に見舞われました。重油が浮かぶ夜の海へ投げ出された池部良は、同乗していた多くの戦友たちが次々と波間に沈み、あるいはサメの餌食となる凄惨な地獄絵図の中を、約10時間もの間漂流した末に奇跡的に救助されたのです。
たどり着いたハルマヘラ島でも補給は完全に途絶え、部隊は飢餓とマラリアに苦しみました。将校として部下を統率しながら、餓死していく兵士たちを一人ひとり埋葬していった過酷な日々の記録は、戦後の彼の魂に深い傷痕を残しました。心理学でいう「サバイバーズ・ギルト(生還者の自責の念)」を抱え続けた池部良は、後年に刊行された自著『ハルマヘラ・メモリー』や『そよ風ときにはつむじ風』などの名著において、戦争の狂気と人間の愚かさを、怒鳴り散らすような怒りではなく、極めて静謐でアイロニカルな筆致で描き出しています。
「自分はあの海ですでに一度死んだ人間なのだ」という徹底した死生観があったからこそ、彼は名声や金銭に執着することなく、映画の現場でも、のちの文筆活動でも、独自の孤高と気品を保ち続けることができたのです。