なぜ赤レンガ?東京駅100年の歴史とドーム天井に隠された驚きの真相
なぜ赤レンガ?東京駅100年の歴史とドーム天井に隠された驚きの真相の詳細について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。
1923年の関東大震災において、東京駅は強固な基礎構造のおかげで倒壊を免れ、周辺被災者の避難拠点として機能しました。しかし、1945年5月25日の東京大空襲により、米軍の焼夷弾が駅舎を直撃。3日3晩にわたって燃え続け、優美な南北のドーム屋根と3階部分の内装が完全に焼け落ちてしまったのです。
終戦直後の混乱期、建築家・松田軍平らの指揮のもと東京駅戦災復興の歩みが始まります。資材も資金も極端に不足する中、「5年持てばよい」という応急措置として、残存した1・2階部分の躯体を活用し、3階を取り払って三角屋根の2階建て駅舎へと改修されました。ドーム天井はジュラルミンを貼った簡素な八角形天井となり、この「応急の姿」が結果として半世紀以上も定着することになります。
高度経済成長期には駅舎の全面建て替え計画が幾度となく浮上しました。しかし「歴史的遺産を守れ」という市民運動や建築関係者の熱心な保存要望が実を結び、JR東日本は2006年、本来の3階建てドーム姿を取り戻す「復原」を決断。2007年から2012年にかけて行われた赤レンガ駅舎復原工事の詳細は、前代未聞の技術的挑戦の連続でした。駅機能を1日も止めずに巨大建築を持ち上げ、地下に352台の免震ゴムを挿入する免震化工事、残された創建当時の赤レンガ壁面を残しつつ、最新鋭の復原レンガを融合させる職人技が集約されたのです。
この復原プロジェクトで特筆すべきは、国費に頼らず約500億円もの事業費を捻出した空中権売却(特例容積率適用区域制度)の仕組みです。低層である丸の内駅舎の未利用容積率を、周囲の新丸ビルやJPタワーなどの超高層ビルへ売却することで財源を確保しました。文化遺産を保存することが周囲の都市価値を高め、その資金で遺産が甦るという、都市工学上極めて高度なスキームが結実した好例です。