名伯楽・逆鉾昭廣の早すぎる生涯|鶴竜を育てた闘病と兄弟の絆

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1992年に現役を引退した逆鉾は、1994年に父の後を継いで15代井筒親方を襲名しました。指導者としての最大の功績は、何といってもモンゴルから来日した少年・鶴竜(マンガラジャラブ・アナンダ)を見出し、第71代横綱へと育て上げたことです。

入門当初の鶴竜は体重が80キロ台しかなく、相撲未経験の華奢な青年でした。他の部屋が採用を見送る中、15代井筒親方はその足腰の柔らかさと礼儀正しさ、芯の強さを見抜いて弟子に迎え入れました。親方は決して頭ごなしに怒鳴りつける指導はせず、基本の四股・鉄砲を徹底して叩き込みました。

「相撲は腕力ではない。相手の呼吸を読み、重心を奪うことだ」

父から受け継いだもろ差しの神髄を鶴竜に惜しみなく伝授。鶴竜が横綱に昇進した際、親方は感極まりながらも「横綱は勝って当たり前と思われる孤独な地位。ここからが本当の勝負だ」と諭し、弟子の慢心を戒めました。鶴竜もまた、親方を実の父のように慕い、厚い信頼を寄せ続けました。

しかし、15代井筒親方の急逝によって、部屋は大きな転換点を迎えます。日本相撲協会の規定により、部屋付きの親方が不在となった名門・井筒部屋は閉鎖を余儀なくされました。鶴竜をはじめとする所属力士・床山らは、同じ時津風一門である陸奥部屋(元大関・霧島)へ転籍。長年続いた「井筒の看板」が幕を下ろした瞬間は、相撲ファンに深い喪失感を与えました。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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