年末の風物詩「社会鍋」の正体とは?なぜ鍋なのか・寄付金の使い道と救世軍の実態を徹底解明
年末の風物詩「社会鍋」の正体とは?なぜ鍋なのか・寄付金の使い道と救世軍の実態を徹底解明について詳しく解説いたします。専門家の見解をご覧ください。
街頭募金といえばアクリル製の直方体ボックスが一般的ですが、救世軍が一貫して「鍋」をシンボルに掲げ続ける背景には、19世紀末の切実な人道危機と、ある一人の士官による機転がありました。
社会鍋(英語圏では「Christmas Kettle」)の起源は、1891年12月の米国サンフランシスコに遡ります。救世軍の士官ジョセフ・マクフィー(Joseph McFee)は、オークランド港周辺で飢えに苦しむ千人規模の失業者や困窮者に温かいクリスマス・ディナーを提供したいと考えました。しかし、彼の手元には資金が全くありませんでした。
そこで彼が思い出したのが、かつてイギリスのリバプール港で船乗りたちが見た光景でした。波止場の埠頭に置かれた大きな鉄鍋(シチューポット)に、船員たちが貧しい人々への小銭を投げ入れていた仕組みです。マクフィーはサンフランシスコのオークランド・フェリー乗り場に三脚を組み、スープ用の大鍋(Soup Kettle)を吊り下げて、こう看板を掲げました。
「Keep the Pot Boiling(鍋を沸かし続けよう=温かいスープを配給し続けよう)」
このユニークで直接的なメッセージは通行人の心を強く打ち、集まった寄付金によって見事に千人分の温かい食事が提供されました。この試みは瞬く間に全米、そして世界中へと広がっていったのです。
日本に社会鍋が上陸したのは、明治42年(1909年)12月のことです。日本人初の救世軍士官であり、貧困救済や廃娼運動に命を捧げた山室軍平らの尽力により、東京の銀座、上野、浅草、神田の4箇所で初めて実施されました。「社会問題の解決を目指す鍋」という意味を込めて「社会鍋」と名付けられ、以来、関東大震災や第二次世界大戦の戦火を乗り越え、110年以上にわたって冬の街頭に立ち続けています。
また、社会鍋はその情緒ある情景から、俳句における冬(晩冬)の季語としても定着しました。飯田蛇笏や石田波郷ら著名な俳人たちも、年末の寒空に響くベルの音と社会鍋を題材に数々の名句を残しています。