史跡高松城跡・玉藻公園の真実!海水堀の謎と天守復元の現在地
話題沸騰中の 史跡高松城跡・玉藻公園の真実!海水堀の謎と天守復元の現在地について、多角的な視点を整理して公開しています。
高松城の最大の特徴は、城の三方を海に囲まれ、堀に瀬戸内海の海水を直接引き込んでいる点にあります。この巧みな縄張りは、天正15年(1587年)に讃岐国領主となった豊臣秀吉の家臣・生駒親正によって築城が開始され、その後江戸時代初期に入封した徳川家康の孫・松平頼重(東谷松平家)の手によって改修・完成されました。
堀に海水を引き入れた最大の理由は、軍事防衛上の強度と海運物流の直結です。海水は淡水に比べて浮力が高く、甲冑をまとった兵が泳いで渡ることを困難にします。さらに潮の満ち引きによって水深が劇的に変化するため、攻城側は舟を接岸させるタイミングを計ることができませんでした。
現在も水門を通じて瀬戸内海と堀の水位が連動しており、潮の干満にあわせて新鮮な海水が循環しています。そのため、一般的な城郭の堀で見られる鯉やフナではなく、真鯛、チヌ(クロダイ)、スズキ、ボラ、フグといった本物の海水魚が自然に生息する独自の生態系が維持されています。