バス旅最終回を迎えた本当の理由とは?太川蛭子コンビの伝説と現在
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2007年の放送開始以来、約10年にわたってテレビ東京の看板を背負い続けた太川陽介と蛭子能収のオリジナルシリーズ。絶大な人気を誇る中で突如発表された「第25弾での卒業」は、日本中に大きな衝撃を与えました。打ち切りではなく、番組側と出演者が納得した上での前向きな勇退でしたが、その背景には過酷さを増すロケ環境と身体的な限界がありました。
最大の要因は、蛭子能収の高齢化と体力面の配慮です。放送開始当初は59歳だった蛭子も、第25弾の時点では69歳。地方の路線バス廃止が急速に進んだことでバスがつながらない「空白地帯」が増加し、1日に10キロ以上も重い荷物を背負って歩く過酷な峠越えが日常茶飯事となっていました。番組プロデューサーは「蛭子さんに怪我をさせたり、体を壊させたりするわけにはいかない」と判断し、区切りの良い第25弾での勇退を決断したのです。
2017年1月2日に放送された記念すべき『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第25弾』は、福島県・会津若松から秋田県・由利本荘を目指す厳冬の東北ルート。マドンナに元おニャン子クラブの新田恵利を迎え、豪雪と氷点下の猛吹雪に阻まれる大波乱の展開となりました。幾度もバスの乗り継ぎに失敗し、最終日には夜の雪道を黙々と歩き続ける限界寸前の戦いを強いられながらも、タイムリミット寸前に奇跡のゴールイン。太川が男泣きし、蛭子が柔らかな笑顔で労い合ったラストシーンは、バラエティ史に残る名場面として語り継がれています。