佐渡の文弥人形「十郎座」とは?歴史や後継者の現状、鑑賞法を徹底解剖

佐渡の文弥人形「十郎座」とは?歴史や後継者の現状、鑑賞法を徹底解剖について見逃せない 理由を分かりやすい構成で解説いたします。

十郎座の誕生は、明治3年(1870年)頃に遡ります。佐渡新穂の大平(おおだいら)集落に暮らしていた大平十郎(おおひら じゅうろう)が、当時島内で広まりつつあった文弥節と人形芝居を結びつけ、自らの名を冠した座を立ち上げたのが始まりとされています。

江戸中期に京都で岡本文弥が創始した「文弥節(ぶんやぶし)」は、哀愁を帯びた叙情的な節回しが特徴で、別名「泣き節」とも呼ばれました。上方で義太夫節が全盛を迎えると文弥節は都市部から姿を消していきましたが、北前船の寄港地であった佐渡へ伝播し、島民の熱狂的な支持を得て独自の芸能として土着化したのです。

明治から大正、昭和初期にかけて、佐渡島内には数十もの文弥人形座が競い合い、農閑期の村々を巡業しては拍手喝采を浴びていました。その中でも十郎座は、傑出した遣い手や太夫を次々と輩出し、常にトップランナーとして君臨。1977年には、同じく島内に伝わる説経人形・のろま人形とともに「佐渡の人形芝居」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。

昭和後期から平成にかけては、フランス・パリのギメ東洋美術館公演をはじめとするヨーロッパ公演を幾度も成功させ、「素朴な木彫の人形に人間の魂が宿る瞬間を見た」と現地の劇評家を唸らせました。佐渡の片田舎で守られてきた芸能が、世界最高峰のアートシーンを震撼させた瞬間でした。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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