タイムトゥセイグッバイ和訳の真実|さようならが愛の旅立ちを意味する理由
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世界中で愛される名曲の歩みは、1995年のイタリア・サンレモ音楽祭から始まりました。Time to Say Goodbye 原曲 経緯を辿ると、そこには音楽プロデューサーたちの情熱と、奇跡的な偶然の巡り合わせが存在します。
元々、作曲家のフランチェスコ・サルトーリと作詞家のルチオ・クアラントットによって書かれた『Con te partirò』は、アンドレア・ボチェッリ 名曲として彼のソロアルバム『Bocelli』(1995年)に収録され、イタリア国内やフランスで大きな話題を呼んでいました。しかし、この段階ではまだ世界規模の爆発的ヒットには至っていませんでした。
運命が動いたのは1996年、ミュージカル界の世界的トップスターであったサラ・ブライトマンが、イタリア西海岸のレストランに立ち寄った夜のことです。店内のスピーカーから流れてきたボチェッリの瑞々しくも圧倒的な歌声に心を奪われたサラは、すぐさま関係者を通じてボチェッリ本人にコンタクトを取りました。サラの敏腕プロデューサーであったフランク・ピーターソンは、この楽曲が持つ途方もないポテンシャルを即座に見抜き、男女の壮大なデュエット曲へと再構築することを提案したのです。
そして、この曲を世界へ知らしめる決定的な舞台となったのが、1996年11月23日、ドイツ・フランクフルトで開催されたIBF世界ライトヘビー級タイトルマッチでした。ドイツ国民の英雄であり、この試合を最後に引退を表明していた王者ヘンリー・マスケの引退セレモニーのために、ピーターソンらはサビ頭に英語の「Time to say goodbye」を挿入した特別バージョンを制作しました。
試合はマスケが判定の末に惜敗するというドラマチックな幕切れとなりましたが、リングを去る傷だらけの英雄を包み込むように流れたサラとボチェッリの生歌唱は、会場の2万2000人の観衆と、ドイツ国内でテレビ中継を見守った2100万人以上の視聴者を熱狂と涙で包み込みました。ドイツ国内だけで300万枚近くを売り上げ、瞬く間にヨーロッパ全土、そして全世界で1200万枚以上のセールスを記録するサラ・ブライトマン 代表曲 和訳の決定版となったのです。