激動の政治家・加藤紘一の真実|加藤の乱の深層と娘・鮎子へ託した信念
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加藤紘一氏の政治家人生を語る上で避けて通れない最大の分岐点が、2000年11月に勃発した「加藤の乱」です。当時、失言問題や支持率低迷にあえいでいた森喜朗内閣に対し、野党が内閣不信任決議案の提出を予告。加藤氏は派閥の会長として、森首相退陣を促すべく野党の不信任案に同調(賛成票の投じ込み、または本会議欠席)する構えを見せました。
当時、加藤氏は自身の公式ウェブサイトで国民に直接支持を呼びかけ、未曾有のアクセス数を記録。「世論の後押しがあれば党内多数派を動かせる」と踏んだ加藤氏でしたが、自民党旧来の権力機構は想像以上に強固でした。当時の自民党幹事長・野中広務氏を中心とする執行部・主流派は、宏池会の議員一人ひとりに「賛成すれば除名、次の選挙で公認しない」という徹底的な締め付けと切り崩し工作を敢行します。
運命の2000年11月20日夜、東京・赤坂のホテルオークラの一室。不信任案採決を目前に控え、派閥メンバーの過半数が切り崩された現実を突きつけられた加藤氏は、少数の同志を巻き込むまいと「俺一人だけでも本会議場に行く」と立ち上がりました。その時、悲痛な叫びを上げて加藤氏の腕を掴み、涙ながらに制止したのが、後に自民党総裁となる盟友・谷垣禎一氏でした。
当時の報道陣のテレビカメラが捉えた谷垣氏の悲痛な叫び――「加藤先生、あなたは大将なんだから!一人で突撃なんてダメです!」「行っちゃダメです!」という言葉は、平成政治史屈指の名場面として国民の記憶に深く刻まれました。加藤氏は本会議場への単独突入を断念し、宏池会の一部とともに採決を棄権。「国民世論の支持」と「永田町の権力力学」の乖離に引き裂かれた加藤氏の挑戦は、あっけないクーデターの失敗として終幕を迎えたのです。