九龍城に住んでいた人々の真実|東洋の魔窟の生活実態と解体後の行方

九龍城に住んでいた人々の真実|東洋の魔窟の生活実態と解体後の行方の特集記事をお届けします。最新トレンドが満載です。

九龍城砦の内部には、香港の公的法規制が及ばないことを逆手に取った独自の巨大経済圏が成立していました。その代表格が、城砦の表通りや路地口にずらりと並んでいた無資格歯科医や町医者たちです。

彼らの多くは、中国本土で正式な医学教育を受け免許を所持していたものの、イギリス領香港の医師免許への書き換えが認められなかった技術者たちでした。砦内であれば無認可で開業できたため、最新の医療器具を独自に持ち込み、香港市街地の正規クリニックの「3分の1から半額以下」という破格の治療費で看板を掲げました。腕前が確かで安価なことから、砦の住民だけでなく、外部の一般香港市民が列をなして治療を受けに訪れるという逆転現象が起きていたのです。

また、砦内には数百もの零細家内工場がひしめいていました。魚団子(フィッシュボール)、麺類、点心、プラスチック製品、織物などが、薄暗い作業場で昼夜を問わず生産され、香港中の飲食店やスーパーへ卸されていました。衛生管理の基準こそ無いに等しい状態でしたが、香港の高度経済成長の底辺を支える巨大な生産基地として機能していた事実は見逃せません。

こうした特異な環境下で、子供たちはどのような日常を送っていたのでしょうか。太陽の光が届かない階下とは対照的に、ビル群の頂上に広がる「屋上」は、子供たちにとって唯一の青空が広がる解放区でした。隣接するビルの屋上が橋渡しや渡り板で連結され、子供たちは複雑怪奇な屋上回廊を駆け回って鬼ごっこをし、アンテナ線が張り巡らされた隙間で宿題を広げていました。至近距離にあった啓徳(カイタック)空港へ着陸進入する巨大なボーイング747旅客機が、手を伸ばせば触れそうなほどの超低空で轟音とともに頭上をかすめていく光景は、砦の子供たちにとって日常の原風景だったのです。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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