児玉清の生涯と伝説|アタック25降板の真相と愛娘へ捧げた無償の愛

児玉清の生涯と伝説|アタック25降板の真相と愛娘へ捧げた無償の愛にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

2011年3月下旬、児玉清さんは体調不良を訴えて都内の病院で精密検査を受けました。そこで下された診断は進行性の胃がんであり、すでに肝臓などへの転移が見られる深刻な状態でした。当時77歳。毎週大阪の朝日放送(現・朝日放送テレビ)に通い、立ち通しで収録をこなしていた『パネルクイズ アタック25』の現場に激震が走った瞬間でした。

翌4月、所属事務所および制作局より「肝機能障害による入院加療と一時的な番組休養」が公式発表されます。児玉さん自身は病名を伏せつつも、復帰への強い希望を口にしており、代役として同局の浦川泰幸アナウンサーがピンチヒッターを務めることになりました。しかし、病魔の進行はあまりにも速く、休養発表からわずか1か月あまりの2011年5月16日午後0時45分、児玉さんは東京都中央区の聖路加国際病院で帰らぬ人となりました。

番組関係者の証言によると、病床にあっても児玉さんは病室のテレビで『アタック25』を毎週欠かさず視聴し、「浦川君、よく頑張っているね」と後輩を気遣いながら、自らの司会復帰に向けたイメージトレーニングを続けていたといいます。1975年4月の番組開始以来、通算1800回以上にわたり日曜午後の顔として君臨し続けた名司会者の降板劇は、まさに命の灯火が燃え尽きる瞬間までプロフェッショナリズムを貫いた壮絶な戦いでした。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest