ミュンヘン五輪の光と影|テロ事件の全貌と日本男子バレー金メダルの真実

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ミュンヘンの悲劇が世界の安全保障体制に与えた影響は計り知れません。五輪テロ対策と警備体制の歴史は、まさに1972年9月5日を境に「前」と「後」で完全に分断されています。

事件当時の西ドイツには、高度な人質立てこもり事件に対応できる法制度も装備もありませんでした。西ドイツ基本法(憲法)により軍の国内治安維持活動が厳しく制限されていたため、国防軍の精鋭部隊を投入することができず、一般警察官の即席部隊で対応せざるを得なかったことが惨劇を生んだ直接的な原因でした。この猛省から、内務省の主導により事件のわずか3週間後の1972年9月26日に創設されたのが、伝説的な対テロ特殊部隊GSG-9(連邦国境警備隊第9国境警備群)です。創設者ウルリッヒ・ヴェゲナーのもとで過酷な訓練を重ねたGSG-9は、1977年のルフトハンザ航空181便ハイジャック事件(モガディシュ)で見事な急襲作戦を成功させ、人質全員を救出してその名を世界に轟かせました。

この教訓は西ドイツにとどまらず、世界各国の対テロ部隊新設ラッシュを引き起こしました。フランスのGIGN(国家憲兵隊治安介入部隊)やアメリカ・各都市警察のSWAT部隊拡充、陸軍特殊部隊デルタフォースの創設など、現代の対テロ特殊部隊ネットワークの原点はミュンヘンにあります。

同時に、オリンピックというメガイベント自体の性格も根本的に変容しました。かつてのように市民と選手が自由に触れ合えるオープンな村は姿を消し、空港並みの厳重なセキュリティゲート、顔認証システム、無人機(ドローン)妨害電波、軍隊の動員が常態化。近年の夏季五輪では警備費用だけで数千億円規模が計上され、祝祭空間は「鉄壁の防衛拠点」へと姿を変えることになったのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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