トルコは欧州かアジアか?国土3%の境界線とEu・サッカーの真相
トルコは欧州かアジアか?国土3%の境界線とEu・サッカーの真相について知っておくべき 注意点を厳選して解説いたします。
欧州とアジアの狭間で揺れるトルコの宿命は、オスマン帝国歴史背景を抜きにして語ることはできません。1453年にビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させて以降、オスマン帝国はバルカン半島を含む東ヨーロッパから中東、北アフリカにまたがる大帝国を築きました。西欧キリスト教世界にとって、トルコは数百年間にわたり「外から攻め寄せる最大の脅威」であり、異教の東洋勢力そのものでした。
しかし、第一次世界大戦の敗戦に伴い帝国が崩壊すると、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクは徹底した近代化を断行します。アタテュルクはそれまでのイスラム法(シャリーア)を廃止し、スイス民法を導入。文字をアラビア文字からラテン文字(アルファベット)へ改め、女性参政権を欧州主要国よりも早く付与するなど、国是としてトルコ宗教と世俗主義を徹底的に叩き込みました。「イスラムの伝統を捨て、ヨーロッパ式の近代世俗国家へ生まれ変わる」ことこそが共和国トルコの原点でした。
にもかかわらず、メディアや国際政治でトルコ中東扱いが後を絶たないのはなぜでしょうか。最大の理由は、国民の約99%が名目上イスラム教徒(大半がスンニ派)であるという宗教的土台です。加えて、2000年代以降のエルドアン政権下において、学校教育での宗教教育拡充やヒジャブ(スカーフ)着用規制の撤廃など、アタテュルク路線からの「イスラム回帰」とも取れる政策が着実に進められてきました。
シリア内戦への介入、パレスチナ問題における強硬姿勢、湾岸諸国との経済的連携強化など、外交面でも中東地域の盟主として振る舞う場面が増加しています。欧州側からは「やはり根底は中東のイスラム国家ではないか」と見なされ、中東諸国からは「かつて支配されたオスマンの記憶」と「西欧化された異質な隣人」として警戒されるという、独特の孤立感を抱え続けています。