なぜ大阪に巨大古墳が集まるのか?百舌鳥・古市古墳群の真相と巡り方

なぜ大阪に巨大古墳が集まるのか?百舌鳥・古市古墳群の真相と巡り方に関するポイントを詳しくまとめました。専門的な情報をご覧ください。

日本列島に約16万基存在するといわれる古墳の中で、なぜ全長400メートルを超える超巨大な前方後円墳が大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市に集中しているのでしょうか。この前方後円墳なぜ大阪に集中するのか理由を読み解く鍵は、古代の地政学とヤマト王権の対外政策の転換にあります。

3世紀から4世紀前半にかけて、王権の主舞台は奈良盆地の東南部(三輪山山麓や佐紀)にありました。しかし、4世紀末から5世紀に入ると、王の墓の造営地は突如として大阪平野南部へと移転します。歴史地理学や考古学の専門家が指摘する最大の要因は、「難波津(なにわづ)」を起点とする海上ルートの制覇と対外アピールです。

当時の東アジアは、朝鮮半島において高句麗、百済、新羅が激しく衝突する激動の時代でした。鉄資源や先進技術の獲得を目指したヤマト王権は、瀬戸内海から大阪湾へと至る海の玄関口を押さえる必要に迫られたのです。中国大陸や朝鮮半島からの使節団を乗せた船が大阪湾に入港した際、沿岸近くの段丘上にそびえ立つ白石で覆われた巨大な人工の山(古墳)は、目を見張る威容を放っていました。航路から直接視認できる位置に巨墳を築くこと自体が、軍事的・経済的な国力を対外的に誇示する視覚的プロパガンダだったのです。

さらに、当時の大阪平野南部は広大な未開拓地であり、巨大土木事業を推進するのに適した地形でした。渡来系技術集団の指導のもと、大規模な治水・開拓事業と並行して古墳造成が行われたと記録されています。墳丘を築くために掘削した土を周囲の灌漑用水路(濠)の整備に利用するなど、地域開発と王権の権威付けが一体化した一大国家プロジェクトが、この地に巨大古墳群を生み出す土壌となりました。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest