なぜ「だって人間だもの」は心を救うのか?相田みつを誕生秘話と本当の意味

なぜ「だって人間だもの」は心を救うのか?相田みつを誕生秘話と本当の意味についての真相をお届けします。

この心に響く言葉が生まれた背景には、相田みつをが歩んだ波乱万丈の生涯があります。1924年(大正13年)、栃木県足利市に生まれた相田みつを(本名:相田光男)は、青春時代に大きな挫折と悲痛な別れを経験しました。

太平洋戦争中、二人の兄を相次いで戦死で失い、自身も徴兵の恐怖と直面するなかで、「人間とは何か、命とは何か」という根源的な問いを抱き始めます。旧制足利中学卒業後、短歌を学び、曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会ったことが、その後の人生を決定づけました。老師から徹底して叩き込まれた禅の教えが、相田みつをの人間観の背骨となっていきます。

毎日書道展に連続入選するなど若くして書道界で頭角を現したものの、技巧や形式美を重んじる旧来の書壇に強い違和感を抱き、自らその道を捨て去りました。「専門家だけにしか分からない書ではなく、小学生でも読める平易な言葉で、誰の心にも届く書を書きたい」――その信念を貫いた結果、待っていたのは過酷な貧困生活でした。

ろうけつ染めや日用品のパッケージデザインを手掛けながら、家族を養うために泥にまみれて働き続けた日々。紙を買う金にも事欠くなか、深夜まで反故紙に向かい、何千枚、何万枚と文字を書き殴り、納得がいかなければすべて破り捨てるという狂気じみた執念のなかで、独自の「相田みつを 心の言葉」が研ぎ澄まされていきました。60歳を迎えた1984年、知人の強い後押しによって出版された『にんげんだもの』が爆発的な大ヒットを記録したのは、そこに本物の血と汗が通っていたからです。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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