浜木綿子の若い頃が息をのむ美貌!宝塚トップから香川照之を育てた波乱半生
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1961年に宝塚歌劇団を退団後、東宝現代劇の看板女優として華々しいスタートを切った浜木綿子さんは、舞台『赤ひげ診療譚』などでの共演をきっかけに、1965年、歌舞伎界の若き革新児であった三代目市川猿之助(のちの二代目市川猿翁)さんと結婚しました。東西のトップスター同士の華燭の典は、当時「世紀の大型カップル誕生」として芸能マスコミを大いに賑わせました。
同年12月には待望の長男・照之(現・香川照之/九代目市川中車)さんが誕生し、公私ともに順風満帆に見えた生活は、わずか1年余りで突如として崩壊を迎えます。夫の猿之助さんが、初恋の相手であり16歳年上の日本舞踊家・藤間紫さんのもとへと去り、家を出てしまったのです。1968年には正式に離婚が成立。生後間もない乳飲み子を抱え、浜木綿子さんは梨園の妻の座から一転、シングルマザーとして過酷な現実に向き合うこととなりました。
当時の特番インタビューや手記において、浜木綿子さんは「泣いて暮らしても一日、笑って前を向いても同じ一日。子どもにご飯を食べさせ、一人前に育てるために立ち止まっている暇はなかった」と振り返っています。哀しみや理不尽への怒りに押し潰されることなく、母として女優として一人立ちすることを決意したその潔い姿勢が、その後の彼女の芸に深みと凄みを与えることになりました。