なぜ王子神社に参拝者が殺到?厄除けと噂の「髪の神様」の真相を徹底解説

なぜ王子神社に参拝者が殺到?厄除けと噂の「髪の神様」の真相を徹底解説についての真相をお届けします。

そもそも、なぜこの北区の地が「王子」と呼ばれるようになったのか。その答えは、まさに王子神社の由緒そのものに刻まれています。

社伝によると、平安時代末期に源義家が奥州征伐の途上でこの地に立ち寄り、甲冑を納めて戦勝を祈願したのが創始の起源とされます。その後、鎌倉時代の元亨2年(1322年)、この一帯を領有していた武将・豊島氏が、紀州の熊野三山より「若一王子(にゃくいちおうじ)」を勧請し、改めて社殿を造営して手厚く祀りました。この「若一王子」の社名が短縮され、周辺の地域名として定着したことが、現在の「東京都北区王子」という地名の明確なルーツです。

江戸時代に入ると、徳川将軍家から絶大な崇敬を受けることとなります。慶長年間に徳川家康より200石の朱印地を寄進されたのをはじめ、三代将軍家光の乳母である春日局が、幼少期に病弱だった家光の健康祈願と将軍世継ぎの決定に際して王子神社へ祈願し、それが成就したことから、家光自らが社殿の修復や造営を指示しました。

さらに八代将軍・徳川吉宗は、紀州徳川家の出身であったことから、同郷の熊野信仰に連なる王子神社を格段に重んじました。吉宗が庶民の憩いの場として隣接する飛鳥山に数千本の桜を植樹し、現在の飛鳥山公園の礎を築いたのも、王子神社への参拝と一体となった都市計画の一環であったことは歴史ファンにもよく知られています。

戦火を乗り越えた御神木「大イチョウ」と伝統の「田楽舞」

境内中央で圧倒的な存在感を放つのが、東京都指定天然記念物「王子神社の大イチョウ」です。樹齢はおよそ600年以上、幹周りは約6.2メートルに達します。この巨木が持つ真の価値は、1945年の東京大空襲において、社殿が全焼する猛火に包まれながらも奇跡的に耐え抜き、再び青々とした葉を茂らせて現在まで生き抜いた「不屈の生命力」にあります。その幹肌に触れ、頭上を覆う緑を見上げるだけで、言葉を超えた再生のエネルギーを実感できるはずです。

また、毎年8月の第1日曜前後に執り行われる「例大祭」では、国選択無形民俗文化財である「王子田楽舞(おうじでんがくまい)」が奉納されます。中世の芸能様式を現代に色濃く残すこの神事は、烏帽子をかぶり花を挿した躍り手が太鼓を打ち鳴らしながら魔を祓う古儀であり、民俗学的にも全国屈指の貴重な文化財として記録されています。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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