元チェッカーズ高杢禎彦の現在と確執の真相|解散理由と再結成
元チェッカーズ高杢禎彦の現在と確執の真相|解散理由と再結成に関する深掘り解説を分かりやすく解説いたします。
解散から10年以上が経過した2003年、両者の関係に破滅的な追い打ちをかける出来事が起こります。高杢禎彦が上梓した自伝的暴露本、高杢禎彦の告白本『愚者よ お前は』(祥伝社)の出版です。
この手記において、高杢は胃がんとの壮絶な闘病記を主軸に据えつつも、チェッカーズ時代の内情や解散の舞台裏を克明に描写しました。その中には、藤井フミヤに対する「バンドを私物化した」「メンバーを見捨てた」といった極めて痛烈な批判や私生活に関する記述が含まれており、世間に凄まじい衝撃を与えました。長年沈黙を守っていたフミヤファンや音楽関係者からは「一方的なバッシング」「闘病記に名を借りた恩讐の清算」との猛反発が巻き起こり、メディアを巻き込んだ大論争へと発展しました。
そして翌2004年8月、事態は最悪の結末を迎えます。ドラムスを担当し、メンバー全員の鎹(かすがい)として誰からも愛されていた「クロベエ」こと徳永善也さんが、舌がんのため40歳の若さでこの世を去ったのです。
この悲劇に際して勃発したのが、いわゆるクロベエお別れの会騒動でした。葬儀やお別れの会の準備を進めるにあたり、発起人として名を連ねたのは藤井フミヤ、藤井尚之、武内享、大土井裕二の4人のみ。そこに高杢禎彦と鶴久政治の名前はありませんでした。告白本による感情的対立が依然として生々しい時期であったため、主催者側が混乱を避ける意図で距離を置いたとみられます。
これに対し、高杢はマスコミの前で記者会見を開き、「幼馴染の最期を看取る場から排除されるのは納得がいかない」と涙ながらに憤りを表明。鶴久とともに参列は叶ったものの、控え室は完全に分けられ、会場内には終始重苦しい空気が漂いました。本来であれば純粋に友の死を悼むはずの場が、遺恨の激突の舞台となってしまったこの騒動によって、藤井フミヤとの確執の真相は修復の余地を完全に失い、両者の断絶は決定的なものとなりました。