山城新伍の死因と晩年の真相|老人ホームでの孤独な最期と家族の確執
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山城新伍の足跡を振り返ると、彼がいかに戦後エンターテインメントの頂点を極めた人物であったかが浮き彫りになります。1957年に東映ニューフェイス第4期生として芸能界入りした山城は、1960年のテレビ時代劇『白馬童子』の主演で瞬く間に全国の子供たちのヒーローとなりました。
映画界においては、深作欣二監督の金字塔『仁義なき戦い』シリーズで見せた江田省一役が代表作として刻まれています。凄みと卑俗さ、哀愁を絶妙に同居させた演技は唯一無二であり、梅宮辰夫らと共演した『不良番長』シリーズでも欠かせぬ狂言回しとして地位を確立しました。
さらに1970年代から80年代にかけては、テレビタレント・司会者として驚異的な才能を開花させます。『独占!女の60分』『アイ・アイゲーム』『新伍のお待ちどおさま』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』など、毒舌と下ネタを軽妙にブレンドした比類なきトーク力でお茶の間を席巻。当時の年収は数億円規模に達し、東京・六本木や赤坂の高級クラブで一晩に数百万円を散財する豪傑ぶりは芸能界の伝説となっていました。しかし、この莫大な富と自信過剰な振る舞いこそが、後の悲劇の種を静かに育てていくことになります。