太宰治と鎌倉で散った松坂つね子とは?田部シメ子心中事件の真相
太宰治と鎌倉で散った松坂つね子とは?田部シメ子心中事件の真相の重要なポイントについて、最新情報を基に徹底解説します。
太宰治(本名・津島修治)と松坂つね子が出会ったのは、1930年(昭和5年)11月下旬のことでした。当時、東京帝国大学仏文科の学生だった太宰は、青森の実家から芸者・小山初代との結婚を巡って分家除籍(事実上の勘当)を言い渡され、精神的にも金銭的にも極限の自暴自棄に陥っていました。
荒れた日々を過ごす太宰がふらりと立ち寄ったカフェ・ホリウッドで、給仕に現れたのがシメ子でした。孤独と絶望を抱えたふたりが共鳴するのに、時間はかかりませんでした。太宰の残した回想や手記によると、出会ってから心中を決行するまでの時間は、わずか3日から4日程度に過ぎなかったとされています。
互いの深い事情を理解し合う暇もないまま、「一緒に死のう」という刹那的な合意が交わされ、ふたりは夜の街から姿を消しました。