李承晩ラインはなぜ引かれた?竹島問題の原点と拿捕の悲劇を徹底検証
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李承晩ライン(韓国側呼称:平和線)が宣言された背景には、第二次世界大戦後の東アジア情勢と、当時の韓国国内における極めて切迫した政治的思惑が複雑に絡み合っていました。
発端となったのは、1952年1月18日に韓国の李承晩大統領が突如として発令した「隣接海洋の主権に関する大統領宣言」(海洋主権宣言)です。この宣言において、韓国政府は沿岸から数十マイルから百数十マイルにおよぶ広大な公海上に一方的な境界線を設定し、その水域内にある水産資源および鉱物資源の排他的主権を主張しました。
なぜこのタイミングだったのか。最大の要因は、同年4月28日に控えていたサンフランシスコ平和条約の発効です。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって日本の漁獲水域を厳格に制限していた「マッカーサーライン」が、条約発効とともに撤廃されることが確定していました。マッカーサーラインが撤廃されれば、高い漁獲技術と近代的な漁船団を持つ日本の漁業者たちが朝鮮半島近海の豊かな漁場へ再び進出してきます。
当時、朝鮮戦争の渦中にあった韓国は経済的にも海軍力・漁業力でも日本に大きく劣後しており、日本漁船による乱獲を防ぎ自国の沿岸漁業を保護したいという強い経済的危機感がありました。しかし理由はそれだけにとどまりません。李承晩政権は国内の求心力を維持するため強力な反日イデオロギーを利用しており、国際的な承認を得ないまま既成事実として海洋権益を囲い込むという強硬策に打って出たのです。日本政府およびアメリカ、イギリスなどの国際社会は即座に「公海自由の原則に反する」として猛烈な抗議を行いましたが、韓国側はこれを完全に黙殺しました。