いろは歌の現代語訳全文と意味|「咎無くて死す」暗号と空海説の真相

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古来、いろは歌の作者として最も人口に膾炙してきたのが、真言宗の開祖である弘法大師・空海(774〜835年)です。サンスクリット語(梵字)に通じ、その五十音図的配列を日本に導入した卓越した語学の天才であった空海こそ、この神業を生み出せた唯一の人物であるという信仰は、中世以降の日本に深く根付いていました。

しかし、近現代の日本語学および歴史言語学の精密な調査によって、「空海作者説」は完全に否定されています。決定打となったのは、日本語の「音韻(発音)」の歴史的変遷です。

空海が生きた平安時代初期には、仮名の母音体系において「上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)」の名残がまだ残存しており、特に「エ」の音にはア行のエ(e)とヤ行のエ(ye)の厳密な区別が存在していました。ところが、いろは歌では「え(ヤ行エ)」と「ゑ(ワ行エ)」は区別されているものの、ア行のエとヤ行のエは完全に同一の音として扱われ、1文字しか割り当てられていません。

国語学の膨大な古文書調査によると、ア行のエとヤ行のエが統合されたのは10世紀半ば(西暦950年頃)であることが確定しています。つまり、いろは歌はどれほど遡っても10世紀後半以降に作られたものであり、835年に没した空海とは最低でも120年以上のタイムラグが生じているのです。

文献学的な裏付けとしても、いろは歌の現存最古の記録は、承暦3年(1079年)に書写された仏教書『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)』の巻末注記です。それ以前の手習い歌としては、平安中期まで「あめつちの詞」や「難波津の歌」が主流でした。これらの客観的証拠から、作者は空海個人ではなく、10世紀末から11世紀初頭にかけて活動した、天台宗や真言宗に属する無名の秀英学僧たちの手によって、仏教教育の教本として編纂されたというのが、現在の学界における揺るぎない共通見解です。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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