日野原重明と聖路加病院の奇跡|サリン事件の決断と105歳現役の真実

日野原重明と聖路加病院の奇跡|サリン事件の決断と105歳現役の真実に関する話題のニュースを分かりやすく解説します。関心のある方は必見です。

1995年3月20日朝、帝都を震撼させた地下鉄サリン事件。聖路加国際病院は被害の中心地であった築地駅の直近に位置していました。当時、同病院の院長を務めていた日野原先生(当時83歳)は、異常事態の一報を受けるや否や、医療史に残る決断を下します。

「当日の通常外来診療をすべて中止し、運ばれてくるすべての被災患者を無制限に受け入れなさい」

原因不明の毒物によって次々と倒れる市民が押し寄せるなか、聖路加国際病院は1日で640人もの被害者を受け入れました。他の大病院が受け入れ制限や混乱に陥るなか、なぜ聖路加国際病院はこれほど迅速かつ大規模なトリアージと救命治療を展開できたのでしょうか。そこには、日野原先生が新病院設計時に仕掛けていた「先見の明」がありました。

1992年に完成した聖路加国際病院の新病棟を建設する際、日野原先生は第二次世界大戦中の東京大空襲で傷病者であふれかえった地獄絵図を教訓とし、「チャペル(礼拝堂)や広大なロビーの壁面・床下に、酸素吸入器や吸引器を即座に接続できる医療用配管を埋め込む」という設計を指示していました。当時、周囲からは「過剰投資」「ホテル並みの無駄」と批判を浴びた設備が、サリン事件の現場で数百人の生命を繋ぐセーフティネットとして機能したのです。

現場で指揮を執った医師や看護師の手記には、「礼拝堂の床一面に敷かれたマットに横たわる重症患者たちへ、壁から伸ばした酸素チューブが次々とつながれていく光景は、日野原院長の執念が実を結んだ瞬間だった」と記されています。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest