ミズノスポーツプラザ京都伏見の閉館真相と跡地の今|名門の軌跡と現在地

ミズノスポーツプラザ京都伏見の閉館真相と跡地の今|名門の軌跡と現在地にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

地域密着型施設が閉鎖される際、ネット上では往々にして短絡的な憶測が拡散します。「少子高齢化で利用者が減った」「フットサルブームが終焉したから赤字だった」という論調はその典型です。

しかし、実態は全く異なります。フットサル市場は確かに2000年代半ばの一大ブームから成熟期へと移行しましたが、ミズノスポーツプラザ京都伏見は平日昼間のシニアテニス、夕方のジュニアスクール、夜間および休日の社会人フットサルという「3部制フル稼働モデル」を確立していました。稼働率の観点から言えば、関西圏のミズノ運営拠点の中でも優良な部類に入っていたと分析されています。

では、なぜ継続できなかったのか。そこには日本の民間スポーツ施設が共通して抱える「地代コストと公設公営施設との価格競争」という構造的盲点が存在します。

京都市内における地価の上昇傾向や固定資産税の負担は、広大な敷地面積を必要とする屋外スポーツ施設にとって極めて重い固定費となります。さらに、周辺自治体が保有する公営コートは税金で維持管理費が補填されているため、1時間数百円〜千数百円という低価格で提供可能です。民間施設が設備の全面改修に億単位を投じた場合、利用料金を大幅に引き上げざるを得ず、そうなれば公営施設へ顧客が流出するリスクを孕みます。結果として、「契約満了時の撤退」が最も合理的かつリスクの低い事業判断となってしまったのが実情です。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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