水田玉雲堂の唐板が放つ魔力|応仁の乱前からの老舗が愛される真相
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水田玉雲堂の歴史を語る上で欠かせないのが、京都の歴史そのものと重なり合う圧倒的な歳月の重みです。創業は室町時代中期、京都の街筋を焼き尽くした応仁の乱が勃発するよりさらに昔に遡ります。日本最古級の菓子舗として数えられる同店は、公家の記録や社寺の古文書が散逸するほどの戦火や度重なる大火をくぐり抜け、代々受け継がれてきた製法を一途に守り抜いてきました。
この店を象徴する唯一無二の存在が、看板銘菓として知られる「唐板」です。その起源はさらに古く、平安時代前期の貞観5年(863年)にまで遡ります。当時、都で猛威を振るった疫病を鎮めるため、神泉苑で催された御霊会(ごりょうえ)において、遣唐使であった吉備真備が唐より持ち帰った神饌菓子の製法にならい、疫病除け祈願として神前に供えられたのが始まりと伝えられています。
やがてその製法を受け継いだ水田玉雲堂は、御霊神社(上御霊神社)の門前に店を構え、参拝に訪れる人々の無病息災を願う厄除け菓子として唐板を焼き続けてきました。京都の老舗和菓子の多くが時代の流行に合わせて季節の生菓子や創作菓子へと間口を広げるなか、水田玉雲堂は現在に至るまでほぼ唐板一本に商いを絞り込んでいます。余計なものを一切足さず、時代に迎合しない姿勢こそが、500年を超えて暖簾が輝き続ける最大の理由です。