【衝撃】桂歌丸の若い頃が超イケメン!髪フサフサ写真と壮絶下積みの真相
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端正な容姿に恵まれながらも、歌丸の芸人人生は筆舌に尽くしがたい苦難の連続でした。本名・椎名巌(しいな・いわお)としての原点は、神奈川県横浜市中区真金町(現・南区真金町)の遊郭街にあります。実家は遊郭の女郎屋「富士楼」を営んでいましたが、幼少期に父親を病気で亡くし、母親とも生き別れるという過酷な境遇に見舞われました。彼を厳格に育て上げたのは、気丈な祖母・タネでした。
ラジオから流れる落語に魅せられた少年・巌は、中学卒業後の1951年、五代目古今亭今輔に弟子入りし、「古今亭今児」を名乗ります。しかし、落語界の封建的な徒弟制度の中で、若き日の歌丸は大きな挫折を味わうことになります。師匠との芸の方向性の相違や、些細な行き違いが原因で破門を言い渡され、事実上の廃業危機に追い込まれたのです。
一度噺家の道を絶たれた歌丸は、横浜に戻り、ポーラ化粧品のセールスマンやペンキ塗りなどの肉体労働に従事して日銭を稼ぎました。しかし、胸の内に燻る落語への情熱は消えませんでした。そんな彼を救ったのが、かつての兄弟子であり、新作落語の名手として知られていた四代目桂米丸でした。
当時の落語界において、一度破門された弟子を別の師匠が引き取ることはタブーに近い行為でした。それでも米丸は、歌丸の抜きんでた素質と真面目な人柄を高く評価し、今輔師匠に頭を下げて復帰の道筋を整えました。これが桂米丸一門への入門理由であり、1958年、「桂米坊」として落語界への奇跡的な復帰を果たします。その後、1964年に初代「桂歌丸」を襲名。1966年に放送開始された『笑点』の前身番組『金曜夜席』の立ち上げメンバーに抜擢され、ついに全国区への階段を駆け上がることになりました。