小村寿太郎は何をした?非難を浴びながら国を救ったポーツマス条約の真相
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小村寿太郎は安政2年(1855年)、日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市)の極めて貧しい下級武士の家に生まれました。幼少期から学問に秀でていた彼は、明治維新後に大学南校(現在の東京大学)へ進学。第1回文部省留学生に選ばれ、アメリカ屈指の名門ハーバード大学ロースクールへ留学を果たします。
この留学時代に培われた圧倒的な英語力と国際法の専門知識は、のちの外交交渉における最大の武器となりました。小村の英語は単に流暢というだけでなく、格調高い語彙と論理構成の緻密さで知られ、欧米の外交官たちを幾度となく唸らせるほどでした。
帰国後は司法省を経て外務省に入省したものの、実家の莫大な借金を背負い、着古したフロックコートを着ていたことから「ネズミ公使」と陰口を叩かれる不遇の時代を過ごします。しかし、陸奥宗光に見出されたことでその才能は一気に開花し、清国公使、駐露公使、駐米公使を歴任して外交のトップへと駆け上がりました。