西田真二の現在と激動の球歴|逆転のPlからカープ、名将の指導論まで
西田真二の現在と激動の球歴|逆転のPlからカープ、名将の指導論までの見逃せないポイントを一挙に解説しました。
甲子園を制覇した西田氏は、高校の盟友である木戸氏とともに東京六大学野球の名門・法政大学へ進学します。大学進学後は投手を断念し、打者に専念。外野手として東京六大学リーグを席巻し、通算打率.328、8本塁打、59打点、ベストナイン3回という圧巻の記録を打ち立てました。4年時には主将としてチームを牽引し、大学球界屈指の左のスラッガーとして評価を確立します。
1982年のドラフト会議において、広島東洋カープからドラフト1位で単独指名を受けプロ入りを果たします。当時の広島は山本浩二、衣笠祥雄らを擁する球団黄金期の真っ只中にあり、外野の定位置争いは極めて熾烈でした。その中で西田氏は類まれなバットコントロールと選球眼、そして何よりもここ一番での集中力を武器に頭角を現していきます。
特に1991年のセ・リーグ優勝争いでは、勝負どころの代打として驚異的な打率を残し、「代打・西田」の名を球界全体に知らしめました。相手投手の配球をベンチ裏で徹底的に分析し、初球の甘い球を一撃で仕留める職人技は、当時の赤ヘルファンのみならず対戦相手からも畏敬の念を持たれていました。